施工店 販売店インタビュー 016
地場の
伝統企業のとして
地域市民のニーズに
応え続ける
匠建設株式会社
取締役会長 増田 幸雄 氏
地場の伝統企業として、長年の地域での信頼を維持し、さらに強めるためにも、常に新しいものに取り組みたいとしている匠建設。戸建賃貸住宅と規格住宅の取り組みも、その考えの中で選択されました。
匠建設株式会社
明治40年(1907年)に中村久五郎氏が同地で建設業を開業したのを発祥とする地元の名門。久五郎氏は大正5年(1919年)の善光寺仁王門再建時に肝煎長(棟梁のようなもの)として関わった。戦後、総合建築業として歩みはじめ、昭和45年(1970年)に中村匠一氏により匠建設となり、現在に至る。現社長は匠一氏の孫、中村彰博氏が務める。
本社/長野県長野市三輪6-6-2 電話/026-234-4161
https://www.takumi-nagano.com/
本社
善光寺仁王門
ローコストの規格住宅に魅力を感じる
ーー洋館家との最初の接点は?
増田 建売住宅や注文住宅の建築で長年お付き合いがあるジェイエイながのサービスさんからご提案いただきました。前任の原山さんから戸建賃貸事業を一緒にやってみないかと誘われ、鹿沼の本部に話を聞きに行きました。ローコストでありながら品質の良い企画商品だなと思い、手がけることにしました。
もともと当社は「地場の総合建設業」として営業しています。一般住宅は注文が主ですが、お客様のニーズに応え、やれることは何でもやっていこうという方針です。「良いモノを造る」ということは当然で、それは芯になる部分です。ですが、お客様の要望はさまざまですから、そこにできるだけ応えたい。若い世代などでは予算面の制約もあります。そういう方にも家を持っていただくためには、ローコストの規格住宅というメニューも必要です。洋館家さんで話を聞いて、戸建賃貸住宅というビジネスも魅力でしたが、それ以上に、低価格で品質の良い住宅供給ができるしくみという点に惹かれました
低価格・高品質の洋館家の規格住宅を
提案・施工
注文住宅のお客様に規格住宅商品を提案
--洋館家商品のこれまでの実績とこれからの計画は?
増田 ジェイエイながのサービスさんからのお話で戸建賃貸5棟6世帯分や平屋の規格住宅など、ここ1年で既に10棟程度を建築しました。戸建賃貸2棟をつなげた保育園は、ジェイエイながのサービスの原山さんの機転で「入居者を決めて賃貸を建てる」形になりました。連結のための廊下部分は、仮に用途変更になれば撤去でき、一般住宅としてすぐに転用できます。施主さんにも大変喜んでいただき、そのことで新しい受注もいただきました。
洋館家の戸建賃貸住宅は、オーナーさんにはまだ知られていない部分もあるので、決断いただくのにやや時間がかかるというのが正直なところです。一方で、注文住宅をお求めの方が予算面で苦労されているときに洋館家の規格住宅商品を提案すると、わりと早く決断をいただけます。現時点でも数棟の話が進行していますから、今後も一定の数をやっていけると思っています。
主力の注文住宅と規格住宅の
ベストミックスを追求
展示会に参加し規格住宅をPR topics
--具体的なPR活動は?
増田 日頃から「全員が営業マンになれ」と社員に話しています。専従の営業マンはいませんから、過去のお客様やそのご紹介、社員のつながりが主たる営業ルートです。なかなか大変ですが、それでも社員の努力や関係先のご協力で安定した受注を得ています。また、仕入先や協力会社のイベントに参加してPRをすることもあります。最近では、建材・材木販売店さんのフェアに参加し、既存や新規のお客様に当社の規格住宅の取り組みをご紹介させていただきました。
当社は地元で長く営業していますからそれなりの信用もあります。その信用を損なわないように丁寧な仕事を続けていくことが何よりも大切です。先日のイベントでは、過去に当社で家を建てたお客様が来場され、「匠さんに決めて良かった」と仰っていただきました。嬉しかったですね。いろいろ研究されご要望の多いお客様でしたが、それに応えていたことを評価していただいたのだと思います。こういうことの積み重ねが信用となり、何よりのPRになるのだと思います。
▲ ▶ 7月に長野市のイベント会場「エムウェーブ」で開催された「住まいのわくわくフェア」に出展。
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変化に対応し地元の信頼に応え続ける
--長野周辺の建築業界の様子を教えてください。
増田 東日本大震災や熊本地震などの震災復興や東京オリンピックなどで全国的に職人不足が言われています。長野周辺も職人さんは不足しています。ただ、長野の場合はこうした他地域の需要のほかに、もともと県内で職人さんが不足する要因がありました。20年前に長野オリンピックがあり、地元の建設業界は大きな需要にわきました。当社もオリンピックスタジアム横の公衆トイレなど会場施設建設に参加しましたし、都市部の建物の新設や住宅建設の多くを受注しました。
当時の日本はバブル経済が崩壊し不況の真っただ中でしたが、長野だけは無関係という感じでした。けれどもオリンピックが終われば、当然、反動が来ます。これは、札幌オリンピックの後も開催地では同じことがあったわけですからある程度予測はつきました。ところが長野の場合は、ここに県政の方針変更もあって大変なことになりました。そのために人材の採用や育成などもできぬまま現在に至っています。
どんな業種も景気の波があります。また、環境の変化で急に仕事が減ることもあります。例えば、長野新幹線の開通で東京との時間が短縮されとても便利になりましたが、日帰りが楽になり、オリンピックを当て込んで開業したホテルなどは軒並み経営が厳しくなりました。それに、ひとつの業種がいつまでも成長し続けることもなかなかありません。事業を長く続けていくためには、そのことをよく知り、環境変化に対応できるようにしておくことが必要です。当社が戸建賃貸やローコスト住宅を手がけるのも変化への対応です。同時に、周囲の動きにあまり惑わされずにいることも大切。これまでの地元の信頼を裏切らない丁寧な仕事を続けていきたいと考えています。