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社会の変化と賃貸住宅③

【連載07】高度経済成長からバブル経済崩壊へ

 都市部の深刻な住宅不足、劣悪な住宅環境が言われつつも、日本の高度経済成長は、まさに栄光の時代でした。1960年代後半には労働人口の増加、そして何よりも欧米の商品より低価格、高品質なため国内外の消費者市場に受け入れられたわけです。その結果、1960年代後半より2011年までの貿易黒字の貯蓄をし、一時的に円は世界通貨量の6.5%まで流通しました。さらに、1971年まで通貨は固定通貨で1ドル360円からスタートし、絶対的な円安でした。ですから輸出品は圧倒的な競争力を保持していました。
 日本経済がミラクル成長を遂げた理由として、もう一点、見逃せないことがあります。それは、当時アメリカにおいては、連邦取引委員会とアメリカ合衆国司法省による競争推進政策が進められていたということです。日本はそれに便乗する形で、1950年から1980年にかけて非常に安いコストでアメリカ企業やヨーロッパ企業が保有するパテント(特許)を利用することができました。実に35,000もの海外特許を、日本の企業は格安に利用できたのです。競争の活性化が経済の成長に繋がると信じて独占禁止法を推し進めてきた欧米の学者や当局者は、日本企業の成長と欧米企業の没落に直面するわけです。
 しかし、栄華は続きませんでした。やがて、1990年バブル崩壊に伴う生産資本主義の終焉が来るとは、誰もが想像していなかったのです。
 バブル崩壊の要因はさまざまに語られていますが、一つは、経済成長の結果としての高賃金、高物価、高不動産価格、高賃料、高保障、高福祉社会等々、ミラクル成長の負の部分が露呈したと言えます。そして、その後の経済不況下では、生産しても価格の高い商品は大多数の消費者が購入できないという状態を招く結果となったのです。