記事一覧

連載74 日本人の「賃貸」の意識を変える

 経済の低成長が続く中で、住宅ローンという制度は破綻したとも言える状態です。また豊かさの中で、人々の価値観は多様化しています。
 かつて、若者の多くは自分のクルマを持ちたがりました。そして結婚し家族を持てばマイカーは必須でした。さらに、経済的な余裕が出てくればより良い、高価なクルマを求めました。それがステータスだったからです。こうした若者、男性であればほとんどがそんな価値意識を持っていました。ところがいま、若者のクルマ離れが進んでいます。
 成熟社会の中で生じている格差により、所得が低くクルマを買えない若者が増えているのも確かですが、収入の多寡にかかわらず、クルマを所有することにそれほど価値を持たない若者が増えているということです。こうした若者は、一定以上の所得があっても、高いクルマを持つことがステータスだとはあまり感じませんから、歳を重ねて所得が増えても高いクルマに飛びつきません。クルマに価値を感じる人が0になるわけではありませんが、同じ金を払うならば別のことに、という人の比率がどんどん高まっています。これが価値観の多様化であり相対化です。同様のことは、クルマに限らず、さまざまな商品で生じています。
 ところが、住宅に限っては、まだまだ「家を持って一人前」の感覚が支配している感があります。人生にはいろいろな生き方があるのに、生涯年収の大半を家につぎ込んで果たして幸せか、という疑問を投げかける声はまだ少数派です。
 その考えの延長にあるのが、「賃貸住宅は家を買えない人が住むもの」という感覚です。だから「安かろう、悪かろう」で当然という考えです。
確かに、格差社会の進行で、今後、住宅を買える人がかつてに比べ減っていくことは当然考えられます。だからといって、賃貸住宅が「低所得者の受け皿」としての役割しかないというのは大きな誤解です。
 多様な価値観で、人生さまざまにステージにおいて最適な暮らしを選択する、その大きな部分を占める住まいは、買うよりも借りた方がトクだとする考えは、今後もっと広がるでしょうし、広めていかねばならないことだと思います。
  「トク」というのは、買うのと借りるのとを経済的に比較することだけではありません。どちらの選択が「幸せか」という比較です。
 「家を買う経済力が十二分にあってもあえて賃貸を選択する」という人が大勢現れても、それでも持ち家にこだわる人もいるでしょう。どちらがよいかは、当事者が決めることです。「持ち家至上主義」という過去の刷り込みがなくなれば、それぞれが自分にとっての「幸せ」を自由に選択できるようになると考えます。