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社会の変化と賃貸住宅②

【連載06】高度経済成長と列島改造論

 高度経済成長期に太平洋ベルト地帯に集まった労働者のために、共同住宅がさかんに造られました。1950年代当時は、日本の人口構成は若年層がピラミッド型に増え、地方からの労働力が都市に集中しました。経済成長による貿易黒字が集積され、地価や物価、所得の向上など国民全体が富んでいきました。1960年の池田内閣は「所得倍増論」を閣議決定し、この年から10年以内の目標として、毎年11%の成長を実現し、7年で目標達成したことは周知の通りです。
 また、1972年に誕生した田中内閣は「日本列島改造論」という大胆な計画を発表しました。これは、大都市に集中した資源(人、物、資本)を各地方に逆流させ、地方へ分散させることで地方の発展と工業化推進を図り「過疎と過密と公害」の問題を同時に解決することを目標としたものでした。
 この列島改造論についての評価はいろいろですが、私はこう考えます。
 日本の税の配分は、欧米と違い還元率が小さく、高所得者と低所得者の負担率も欧米に比べて差が小さくなっています。そのため、相対的に高齢者や低所得者、貧困層や子育て世代に影響が出やすくなります。
 また日本においては税を中央に集積し公共事業を通じて地方に還元する方法を取っていますが、その多くは公共事業として交通網や道路の整備にあてられました。しかし、それは結果として、地方都市での郊外化を誘発し、中心市街地を衰退させることとなってしまったのです。
 モノづくりの価格競争に巻き込まれた企業が、工業化推進をめざした地方から、より安価な労働力やインフラを求めて海外シフトを進めました。その結果東京一極集中と地方の過疎化は、整備された交通網によりますます促進される皮肉な結果となったのです。