【連載05】戦後の高度経済成長と賃貸住宅
賃貸住宅の現状は、現在の日本の状況を反映しているということは言うまでもありません。現状を把握するために、社会の変化と賃貸住宅を振り返ってみたいと思います。
戦後、青森や岩手などの東北から、労働者を東京や千葉、神奈川の2次産業、ものづくりに集中させました。つまり、地方の一次産業従事者から安価な労働力を都市部に集中させ、復興と発展を目指して本格的にものづくりである生産資本主義に取り組んできたわけです。この生産資本主義の基準は「安価な労働力、製造条件、生産立地」が条件で、当時、太平洋ベルト地帯(東京、千葉、神奈川、名古屋、大阪)を構成して世界各国から原材料を輸入し、主に欧米に良質で安価な工業製品を輸出しました。そして日本は、加工貿易国としてミラクル成長を遂げ、世界第2位の経済大国を実現したわけです。
そのような時代、大量の労働者を受け入れた太平洋ベルト地帯には、アパートが全然ありませんでした。集団就職で東京に出てきても寝るところがない。6畳に4人とか、そんなこともありました。そんな住宅不足を解消するために、公団や民間が軒並み賃貸住宅を建てました。公団の団地のように、ほとんどは集合住宅です。
当時建てられた公団の団地は、4階建てエレベーターなしなど当然でした。その頃に入る人は20代30代でしたからエレベーターなんていらなかったわけです。ところが、50年近く経って今住んでいるのは70歳過ぎの方々。孤独死とか独り住まい、そういう状況になっています。