【連載36】格差社会の価値観
老舗企業が時代変化にどう対応すべきかを考えるには、現代がどういう時代であり、今後はどういう方向に向かっていくのかをしっかりつかむ必要があります。そのキーワードの一つが、「格差社会」です。
私はこのブログでも、また講演などでもたびたび格差社会について触れてきました。格差社会、つまり貧富の差の発生は、資本主義社会であれば必然的に生じるととらえるべきでしょう。格差、貧富の差が生じることを肯定的にとらえる考え方は、成果配分に対する評価があります。労力や貢献により成果が配分されることを是とし、努力に応じて配分を受ける権利があるとするものです。そして労力や貢献、努力の差が配分の差、つまりは貧富の差になります。他者よりも多い配分、財を獲得するために努力し合う、それが競争社会をつくります。
競争社会の利点は、財を受けるための評価基準が明確に認知されていることです。しかし、欠点もあります。それは格差が生じて「富裕層」と「貧困層」が誕生したことに対して、「財の再配分」が行われることです。
努力が報われて財を得ることができ、努力しなければ配分を受けることができないという原則であるはずなのに、ひとたび富裕層となれば、労力や貢献に関わらず財が集中してますます富み、貧困層に入るやいくら努力してもそれに見合う財を得ることができないということが生じます。それが極端になるのを是正するために、社会において財の再配分が行われます。
財の再配分は、まず国民の義務である納税により行われます。高所得者には高い税率が適用され、低所得者には税率を低くしたり、税を免除したりするのがそれです。また、政治によって合法的な配分が認められています。しかしながら、この政治による財の再配分が難解な問題なのです。納税する側は被害者意識を持ち、受益者もまた不満を持つわけです。いずれにせよ、「財」の取り扱いは、何を基軸にしていくのか不可解で難問です。
ところで、この格差社会の誕生は、資本主義の成熟期を意味しています。現在の日本は、雑駁に言えばおよそ30%の富裕層と70%の一般および貧困層の構図です。アメリカにおいては富裕層20%、一般および貧困層80%となっています。今後の日本もそのようになると考えられています。
こうした格差社会の是非を語るのとは別に、ビジネスのあり方は、資本主義が成熟期であるのを踏まえ、成長期とは必然的に異なっていることを知るべきです。