施工店 販売店インタビュー 021
別荘地での建築・リフォーム業から
都市生活者向けの住宅提供へと拡大
住商工業株式会社
代表取締役社長
武田 泰幸 氏
1977年(昭和52年)に、当時開発がはじまった播磨自然高原の別荘地での建設を主に創業した住商工業。現在は別荘建設だけでなく、赤穂、相生に営業拠点を展開し、都市部の生活者向けの住宅供給へと事業拡大しています。
住商工業株式会社
建設工事、土木業のほか、不動産仲介業務も展開。兵庫県赤穂郡上郡町梨ケ原(播磨自然高原)の本社のほか、エイブルネットワークの加盟店として赤穂市加里屋、相生市向陽台に営業拠点を構える。社名は「住まいを商う」ことからのネーミング。
本社/兵庫県赤穂郡上郡町梨ケ原1167-158
電話/0791-56-0123
www.sumisyo-villa.co.jp
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左:本社(上郡町) 中:相生店 右:赤穂店
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左:相生での施工事例 右:同社が得意とする別荘建築
建築主体から不動産事業の拡充へ
ーー貴社は建築からスタートして、不動産に参入したと聞いています。
武田 当社は播磨自然高原での別荘建築がスタートであり、事業の主力でした。以前から土地取引などは少しは手掛けていました。しかし、別荘建築を主力とする事業の形では、将来の大きな発展は見込めないと、不動産部門の強化を模索していました。
不動産事業を本格化するのは、16年前にエイブルの加盟店として赤穂に出店したのが最初です。発端は、エイブルの加盟店募集のDMです。当地ではまだエイブルの知名度もそれほどではなかったのですが、同社の説明に「これからは不動産賃貸だ」と思い加盟しました。次いで、エイブル本社のマーケティングでも赤穂も良い立地である、ということで赤穂店を出店しました。ここは駅に直結したビルのテナントで、オーナー様用のゲストルームも併設しています。赤穂は城下町特有の、閉鎖感も当初は感じましたが、一度受け入れてくれるとすごく温かい地域性があります。現在、赤穂市内では当社が最も管理戸数が多いと思います。
全国的に人口や世帯数が減少し、地方はますます大変になっていくとは思います。しかし、この赤穂や相生のエリアは、それでも住みやすいところで不動産の売買や仲介、そして管理の需要も一定程度見込まれると考えています。さらに姫路方面はまだまだ需要がありますから、このエリアでの展開を今後も進めていきます。
もちろん建築も引き続き主力ですから、不動産事業を窓口とした建築受注もますます広げていくつもりです。
オーナー接点から戸建賃貸を研究
--洋館家を選んだきっかけは?
武田 仲介や管理をしながら地域のオーナーさんとつながりができてくると、やはり戸建の賃貸はどうかというお話が出ます。当社はもともと建築会社ですから建てることはできます。でも戸建の賃貸をオーナーさんの希望通りに造ろうとすると、どうしてもコストが合わないのです。せっかくいただいたお話を、他社に回すということもありました。そこでいろいろと情報を集める中で、エイブル本社のルートで洋館家さんのことを知りました。
私が一番気になったのは、コストは合うが品質は大丈夫かということでした。そこで栃木の本部に行き物件を見て、さらに福田社長らの話を聞いたうえで決断しました。お客様に安く提供したとしても、「安モノ」を提供したのでは地域での信頼を一気に失うことになりますからね。
高級別荘などを建ててきた当社として、これなら間違いがない、と考えて選んだのが洋館家さんだったのです。最初に個人住宅の洋館家規格で建て、その後、戸建賃貸住宅も手がけています。分譲地を購入した方に、洋館家の規格住宅はとても勧めやすい商品です。
別荘地特化から都市の住宅供給へ topics
武田 本社の所在地は播磨自然高原といって、岡山と兵庫の県境にあります。兵庫県の芦屋市と同じくらいの広さのところにおよそ3000区画の別荘地となっています。1区画300坪平均くらいです。全体で約1300軒くらいの別荘が建てられていますが、現在まで全体の7~8割は当社が手がけました。
別荘というのは、やはり何といっても無垢材を多用します。人工は使わない。当社の建築も、そういうお客様のニーズに応えていました。例えば内装材でも漆喰で、左官で仕上げます。材木の丸太も実際に岡山県の奥のほうから採ってきて、梁にもこだわって、と。私もいろいろなところに見に行き、勉強しました。
ところがバブルがはじけて、そういう需要はだんだんなくなってきました。造成が始まって40数年ですから、大規模な改修や建替えの時期となるはずですが、別荘所有者の皆さんも高齢化していますから、お金をかけてやり替えるという人も少なくなっています。京阪神からクルマで2時間程度の場所ですが、かつて40代、50代でここに別荘を建てた方々も今は80代です。クルマで来てゴルフをやって、ということにはなりません。また、そのお子さんたちの世代は、国内に別荘を持っていたいという人は少なくなっているようです。
ですから最近は、「田舎暮らし」を楽しむ人たちが主体になりつつあります。そういう方々の志向は、建物を中古で購入し最低限の修繕で済ませ、露天風呂などを手造りして楽しんでおられます。そこではかつてのような別荘建築ビジネスは通用しません。
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バブル崩壊後の経営基盤を探す
私の父は、昭和52年にこの別荘地の別荘建築を目的に会社を創業しました。もともとはサラリーマン、というよりもノンプロの野球選手でした。野球をやめた後、親戚の土木関係の会社に移り、そして独立しました。開発会社は別の法人さんですが、そことタッグを組んで当社が建築と土木を担うという形で、多い時は新築だけで年間50件くらいありました。
私は東京の大学を卒業しました。理数系が得意ではなかったので法学部に進みましたが、父の会社を継がねばならないと、卒業後、大阪の建築関係の学校に行き、建築や宅建などの資格を取得するための勉強をして、父の会社に入りました。ちょうど昭和天皇が亡くなった頃、昭和64年、平成元年です。まだバブル景気でしたから、建築や不動産の業界は活況を呈していました。別荘の建築でも、ご自分のこだわりにどんどんお金をかけるお客様がたくさんおられましたから、億単位の建築もありました。
それがバブル経済崩壊後の長い景気低迷で、10数億円あった会社の売上げも、私の入社後は10億円を切るような状況で推移しました。不動産事業、とりわけ管理業務に傾注しようと決断するのは、こうした状況下で事業の安定基盤を作りたいと考えたからです。
時代の最新情報を集め対応する
ーー今後の事業はどのように展開されますか。
武田 やはり管理業務の拡大が、まず第一です。賃貸・売買・管理、そこで洋館家商品も含めた建築を絡めていきます。自家施工での建築提案にもっともっと力を入れていきたいと思っていますが、そういう面では洋館家の商品はとても扱いやすい。規格住宅ですから不動産の担当者でも建物についての説明ができますから。
建築分野では、省エネ基準など法令改正や技術革新も見ていかねばなりません。私自身は、太陽光発電は思ったほどの収益を上げないと思っていますが、ZEH住宅は今後の主流ですから、ここにも対応していきたいと考えています。
不動産業界も日々変化しています。インターネットでの住まい選びは今や当たり前ですし、業界側も電子決済やIT重説、重要事項説明を店舗で面前でやらなくてもいい、といったことになってきました。こういった流れに乗り遅れることなく、情報を集め勉強していきたいと思っています。
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左:赤穂の物件 中:赤穂の物件 右:梨ケ原別荘