施工店 販売店インタビュー 019

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時代れにじた
建設業のあり方をめて

株式会社一矢建設
代表取締役社長 山田 真司 氏

糸田氏

 会津若松で50年以上の営業実績を持つ一矢建設は、地域での信用を背景にリピーター需要を丁寧に拾うと同時に、時代の変化に対応した建設周辺事業への展開も行っています。

株式会社一矢建設
 1963年(昭和38年)に設立された一般建築から土木まで取り扱う総合建築事業者。高速道路施設の建設や維持管理などに強みを持ち、また高齢者施設を会津エリアで最初に建設するなど、周辺事業への進出にも積極的。


本社/福島県会津若松市日新町10-40
電話/0242-26-0018
https://ichiya-cc.jimdo.com/

◀ 本社


左:一矢建設グループが建設・運営する高齢者向け優良賃貸住宅『プラセール日新』
中:一矢建設の施工物件例
右:露天風呂の宿「静風亭」竣工時





  コンパクトな洋館家の商品のニーズは高い

ーー洋館家の戸建賃貸に着眼したきっかけは?

山田 当社の場合、仕事の多くは古くからのお客様からの依頼で、修繕や増改築、新築を行っています。地主さんからの依頼でアパートやマンションの建築やリフォームなども行いますし、当社も自社物件を持っていますが、共通の話題は空室対策です。古い物件は空室が増えていますから、ただアパートを建てれば良いという時代ではなくなっています。何か、別のことを考えなければと情報収集する中で、洋館家の戸建賃貸を見つけました。
 戸建賃貸についてはまだ提案中の案件があるだけで具体化はしていませんが、当社のお客様のニーズに応えるものが、洋館家の商品にはあります。それは、コンパクトな住まいです。
 会津若松周辺でも、人口減少は進みつつあります。大家族世帯はどんどん減って、夫婦と子供という家庭が増え、子供も大学進学で仙台や東京に出て行き、就職後はほとんど帰ってきません。地域には大きな家と高齢者が残ります。歳をとった人にとって、そんなに大きな家も部屋数も必要ありません。減築の需要も増えるでしょうが、洋館家の商品のようなコンパクトな住まいへの建て替えも増えると思います。



  建築の周辺に新しい事業がある

--地域人口が減れば建設業界の先行きは厳しいものがありますね。

山田 そうです。会津若松は古い町で地域の中心でした。そのせいもあってか、建設業者は他に比べて多いと思います。行政から業態変革の支援や助成が出るのは、数を減らさなければならないという考えがあるからでしょう。
 当社は1963年に私の父が創業しましたが、高度成長期からバブル期まで、いろいろありましたが業容は順調に伸びていました。20年前に父が病気になり、東京に出ていた3人の兄弟のうち、真ん中の私がこちらに戻って父の仕事を手伝うことになりました。私は大手ハウスメーカーに勤務していましたが、そこを辞めてこちらに戻ったわけです。でも、その頃は既に日本全体の景気が停滞し、この地域の建築業者の苦戦も始まっていました。当社の売り上げも年々減るといった状況です。
 会社に入った私は新築の落ち込みをカバーするため、事業部を立ち上げました。東京のセミナーなどにも参加し、当時、流行っていたチラシや新聞折込を活用した「反響営業」を展開し、一応の成果をあげることができました。それでも、震災の直前ぐらいまでは厳しい経営環境が続きました。

--震災後は復興需要があったのですか。

山田 会津は内陸ですから、沿岸部ほどの被害はあり苦戦でしたが、それでも大きな揺れに何度も見舞われ、建物被害も多数ありました。当社は特段、復興関連の仕事を受注したわけではありませんが、長年やっている高速道路の施設関係の復旧や、古くからのお客様の家には古い土蔵などもありますから、その修復に駆り出されることもありました。
 父は公共工事のようなものをあまり好まなかったので、当社は民間、一般のお客様との仕事を中心にやってきました。もちろん、地域で長年やっていれば高速道路や準公共機関の仕事もさせていただくことはありますが、やはり地域のお客様に向けた事業をしていくことが主です。新築が減ればリフォームで、といった形で。今、チラシ等での反響営業ではなく、古くからのお客様への提案営業が主ですが、お客様とのつながりの中で新しい仕事も出てくると思います。

--建築以外の柱が必要になっているということでしょうか。

山田 建築は柱であることは間違いありません。その周りで、例えばアパートやマンションの建設や管理といったことも手がけてきました。自社物件も複数所有しています。その経験から、戸建賃貸に着眼もしています。また、当社ではグループ企業として高齢者向け優良賃貸住宅の経営も行っています。
 介護付きの有料老人ホームの建設は、父が存命中だった10年ほど前に着手しました。発端は、やはり古くから知っていた地元の医院の広い敷地の再利用の相談を受けたことでした。父はこれからの事業として、介護福祉関係を考えました。しかし、まだこの地域では前例がなく、一緒に動いた私も、行政の認可を受けるのには随分苦労しました。
 この事業は今、別会社にしていますが、地場の建設会社の当社として大切な事業です。父の代で新築をやらせていただいたご家族が高齢者だけになって、それに応じたリフォームや改築をさせていただくこともありますが、その方々のための施設も当社で建設・運営しています。実際、そういう古くからのお客様にも入居していただいています。
 父はこの施設の建設を「俺の最後の仕事だ」と言っていましたが、本当に施設ができるとすぐ亡くなってしまいました。地場の建設業のこれからの事業のあり方を考えていたのだと思います。
 一矢建設という名前は、父がお世話になった地元の有力者の方が命名したものです。一本の矢のようにまっすぐ、建設一筋で進んで行くということだと聞いています。ですから今後も当社は、建設一筋で進みます。ただしそれは、時代の流れに対応した建設業でありたいと思っています。




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  地域の課題、業界の課題をどう解決するか

--今後の事業の課題はどのようなことでしょうか。

山田 地域の人口減少や高齢化に対して、地場の建設業者としての対応策が、リフォーム事業や老人福祉事業だったりしますが、他にも色々あるかと思います。
 会津若松は観光産業で成り立っていて、建築業はそれにぶら下がっているような形です。その構造の良し悪しは別として、地場でやっていくためにはどんな事業形態であるべきか。建設を軸にその周辺でどのような事業を展開するのか、それを常に考えています。
 また、建設業界全体で言われている人手不足対策をどうするか、これは真剣に考えないとなりませんね。一方でコスト削減と言われていますが、人件費をこれ以上削ることはできないし、してはいけない。低コスト住宅を進める洋館家さんに期待するのも、そのあたりのことですね。大工さん、職人さんが無理なくできるしくみを作っていかなければならないと思います。



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